樋口紀美子

30の小宇宙、満を持してのバッハ
15のインヴェンションと15のシンフォニア

  ショパンやリスト、さらにはドビュッシーの優れたCDで高い評価を得てきた樋口紀美子が、ついにバッハの《インヴェンションとシンフォニア》全曲をリリースした。まさに満を持してという覚悟が伺える。幼少の頃からバッハを好んで弾き、演奏会でも《パルティータ》全曲をはじめとしてしばしば取り上げ、日本バッハ・コンクールの審査やバッハを中心とした各種の講習会の成功など、現代のピアノでバッハを弾くことについては定評ある彼女にしても、こうして録音を残すことには非常に慎重だった。それは30年以上もベルリンを中心として活躍してきた彼女ならではの責任 感の表れともいえる。ドイツでの彼女は、ヴュルツブルク国際バッハ・コンクールの創始者だったヴァルター・ブランケンハイムの高弟としてバッハをピアノで弾くうえでのすべてを学び、ベルリン教会音楽大学のピア ノ科講師として多数の教会音楽家やオルガニストの教育に携わってきた。その意味でドイツの バッハ伝統は、彼女の骨肉となっている。そんなことを知らなくとも、彼女の講座を受けた若いピアニストたちは、その演奏や指摘の確かさに熱 狂してきた。そしていま私たちは、このCDを通して彼女が 弾く《インヴェンションとシンフォニア》を聴くことが できる。この曲集は、バッハが息子たちの教育のために編纂したものであると同時に、作曲家、演奏家、教育者としてのバッハの全てが込められたものだ。樋口紀美子の演奏には、なによりも自然な歌があり、その音楽の流れに寄り添った自然な装飾法がある。そのことによってそれぞ れの曲の構造が、自然なかたちで明らかとなっている。バッハ自身による「正しい手引き」が自然なかたちで実現されている。この境地に至るには、技術的にも精神的にも演奏家としての長い修練が必要であることはいうまでもない。そして私たちは、彼女とともにバッ ハの音楽に身を委ね、心から楽しむことができるのである。          

                                                樋口紀美子の弾くバッハ  樋口隆一(音楽学者・指揮者)

   J.S.バッハ                   

   15のインヴェンション BWV 772-786

   15のシンフォニア BWV 787-901

    樋口紀美子(ピアノ)

CD: MF25705  2,800(税抜)

    録音:川口リリア「音楽ホール」(埼玉県)

 2020610日、114 

   発売:2021年2月20日 580107 74100 7

 

レコード芸術特選盤に選定!

ここに ここに演奏された両集成は、誠に素直な、虚飾を配した流れのもとに演奏されている。推薦=濱田滋郎

巧みに施された任意の装飾は聞き手の心に感銘を与える。(両曲集とも)音楽の自然さはとても好感が持てる。推薦=那須田務


ドビュッシー没後100年記念
2台ピアノのための3つのオーケストラ作品

 樋口紀美子のCD第4弾は、ドビュッシーの没後100年を記念した録音で、脇岡洋平との共演で管弦楽作品を2台ピアノのために編曲された3作を収録しています。

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 クロード・アシル・ドビュッシー(18621918)の作品表を詳しく見てみると、2台のピアノのための編曲や作品の存在が興味を惹く。1889年にはワーグナーの《さまよえるオランダ人》序曲、翌1890年にはサン=サーンスの交響曲第2番イ短調の編曲が続き、1895年には自作の《牧神の午後への前奏曲》もみずから2台のピアノのために編曲している。

 当時のフランスでは、音楽生活の中心をオペラが占めていたため、管弦楽曲の本格的上演はめずらしく、音楽家が出入りするサロンでは、2台のピアノによる編曲で楽しまれることが多かった。ドビュッシーも1889年には「国民音楽協会」に入会し、ワーグナーの《ワルキューレ》の2台ピアノによる上演には、ピアニストとして参加しているほどだ。これらの編曲はまた、若い作曲家に多少の収入をもたらすという意味でも重要であった。第1次世界大戦中の1915年に作曲された2台のピアノのための《白と黒で》も、多くの音楽家が出征したためにオーケストラが使えない状況を、「白鍵と黒鍵で」と皮肉ったものとも考えられる。

 ドビュッシーの管弦楽曲がオーケストラのレパートリーとして定着した現代にあって、これらの2台のピアノのための編曲を聴く意義はどこにあるだろうか。それはあふれんばかりに多彩な管弦楽法の色彩を取り除いても、そこに厳然として現れるドビュッシーならでは音楽の構造の純粋な美しさである。微妙な響きと揺れ動くリズムの変幻の背後に、彼ならではの明晰な形式感が隠れている。わたしたちはいま、彼の作曲家としての驚くべき考察と手腕をよりはっきりと目の当たりにする。もちろんそれが可能となるのは、ふたりのピアニストの類いまれな音楽的能力に依るものであることは言うまでもない。 

樋口隆一 ライナーノーツより

 

  ドビュッシー没後100年記念

  2台ピアノのための3つのオーケストラ作品

  牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー編曲) 

  夜想曲(ラヴェル編曲)

  交響詩「海」(アンドレ・カプレ編曲)

  樋口紀美子(ピアノ)                                         

  脇岡洋平(ピアノ)

CD: MF25704  2,800+税

   20181125日発売

  録音:所沢市民文化センター ミューズ アークホール 2018524日、25

  スタインウェイD-274 2台使用

 

《牧神の午後への前奏曲》

   18941222日、国民音楽協会におけるギュスターヴ・ドレ指揮で初演、総  

  譜とドビュッシー自身による2台のピアノのための編曲は1895年にジュベール

  から出版された。

《夜想曲》19011027日、シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団によって全

  曲が初演、総譜は1900年に

 フロモンから、ラヴェルによる2台のピアノのための編曲は1909年にジョベー

  ルから出版された。

《海》19051015日、シャヴィヤール指揮のラムルー管弦楽団で初演、北斎

  の版画『富嶽36景』のひとつ

 『神奈川沖浪裏』があしらわれた総譜が出版されたのは同年718日、ドビュ

  ッシーの協力者で作曲家・指揮者としても知られるアンドレ・カプレによる2

  台のピアノのための編曲は1909年、共にデユランから出版。

 

 

 

 

ピアノの配置について

 

録音は2日にわたり、音響の良さで定評のある所沢の〈ミューズ アークホール〉で行いました。

収録1日目は2台のピアノを前向きに平行に配置し(写真=P3)、ホールの空間の響きを十分に体感したあと、一般的な2台を横に組み合わせる配置(写真=裏表紙)で収録を行いました。

樋口紀美子

 6歳より母の手ほどきでビアノを始める。藤田晴子、田辺緑、岡部守弘、永井進、神西敦子、K.ヘルヴィッヒ、H.E.リーベンザーム、G.アゴスティ、H.C.ステアァンスカ、W.ブランケンハイム、ディノラ・ヴァルジの各氏に師事。武蔵野音楽大学卒業後、1974年渡独。エッセン国立音楽大学、ベルリン芸術大学、ザールブリュッケン国立音楽大学演奏家コース卒業。

 1977年イタリアのフィナーレ・リグレ国際ビアノ・コンクールにて3位入賞。以来ドイツ、スイス、イタリア各地で数多くのリサイタルを行う。1980年スイスのルガノ国際ビアノ・コンクール「スケルツォ特別賞」。1981年以来一時帰国しては東京にて15回のピアノ・リサイタルを開催。『音楽芸術』『音楽の友』『ムジカノーヴァ』『ショパン』各誌で高い評価を得る。1985年東京交響楽団とラフマニノフの協奏曲第2番を共演。199310月にはマーラ-《大地の歌》ピアノ版を邦人ステージ初演し、『音楽の友』のコンサート・ベストテンにノミネートされるなど絶賢を博す。1988年よりベルリンのフィルハーモニー、カンマームジークザールを中心に9回のリサイタル(ハンス・アードラー主催)で成功を収め、ベルリン・ピアノ界の常連としての地位を確立した。1993年の演奏会はベルリン最大有力紙「デア・ターゲス・シュピーゲル」の批評欄で、「微笑む理性」と絶賛された。19949月、イタリアのシチリア島におけるイブラ・グランプリ国際ビアノ・コンクールでブロフェッショナル・ピアニスト部門入賞。1997年、リスト・プログラムでCDデビュー、好評を博す。 

 ビアノ教育者としても、ベルリンの門下生からドイツ青少年コンクール、ベルリンとハンブルクのスタインウェイ・ピアノ・コンクール、ケーテンのバッハ・ピアノコンクールなどで常に上位入賞者やオーケストラ共演者を出すなど、異例の成功を収め、高い評価と注目を集めた。ベルリン教会音楽大学ビアノ科講師、ベルリン市立音楽学校ビアノ科および室内楽科講師などを歴任。ピティナ・ビアノコンペティション、ベルリン・スタインウェイ・ビアノ・コンクール審査員。2005年よリドイツ音楽芸術家連盟ベルリン正会員。20077月、33年のドイツ滞在を終えて帰国。2008年、浜離宮朝日ホールでの帰国記念リサイタル以来、ヨーロッパでの長い演奏経験を生かして日本各地で演奏活動を展開するほか、コンクールの審査、講演、公開レッスンなど幅広く活躍している。

 帰国後のCDとしては、2012年に「ドビュッシー 12のエチュード」(MF25701)、2014年には「ノアンの思い出、ショパン:ソナタ第3番ほか」(MF25702)をN&Fよりリリース、特に後者は『レコード芸術』準特選として絶賛を博した。

 

脇岡洋平

 1980年東京生まれ。5歳よりピアノを始め、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て東京藝術大学音楽学部を卒業。2010年ベルリンハンス・アイスラー音楽大学大学院コンツェルトイグザーメン課程の卒業試験において最高点で卒業し、国家演奏家資格を取得。その後1年間ブダペストのリスト音楽院にて学ぶ。

 在学時よりかずさアカデミアピアノコンクール、日本音楽コンクールなどの国内のコンクールをはじめ、ドイツ、イタリア、ポルトガルなどで数々の国際コンクールにて入賞を重ねる。2005年度より明治安田文化財団奨学生に2年間、2007年度文化庁海外研修生、また2008年度よりローム音楽財団研修生となる。

 これまでに藝大フィルハーモニア、ニューフィルハーモニー千葉、東京シティフィルハーモニック交響楽団、ブランデンブルグ交響楽団、ベルリンコンツェルトハウスオーケストラ等と共演。特にブランデンブルク交響楽団と共演したシューマンのピアノ協奏曲はドイツ国内の音楽雑誌、新聞等で高い評価を得た。また2010年、2012年に東京文化会館小ホールにて開催したリサイタルでは国内の音楽誌上にて高い評価を受ける。2009年より定期的にブダペストのリスト博物館のリサイタルシリーズに出演し、2013年春にはリストソサイエティーに招かれ、同博物館にて開催されたワーグナー=リスト音楽週間のオープニングセレモニーに出演。室内楽では、鈴木良昭(クラリネット)、リンツ・ブルックナーハウスのアンナ・マリア・パーマー(ソプラノ)、江口心一(チェロ)各氏等と共演を重ねている。

 これまでに大畠ひとみ、出羽真理、神谷郁代、堀江孝子、田辺緑、播本枝未子、H.シグフリッドソン、G.クプファーナーゲル、G.ナードルの各氏に師事。また、V.ミシュク、V.マカロフ、A.ヴァルディ、中村紘子、D.バシュキーロフ、P.ギリロフ、B.L.ゲルバー各氏のマスタークラスを受講。

 現在ソロピアニストや室内楽奏者として日本各地及びヨーロッパで活動し活動し、後進の育成やコンクールの審査にも携わっている。元東京藝術大学音楽学部付属音楽高等学校非常勤講師。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会正会員。


ショパンの原点はバッハだった!
 こショパンの「練習曲」作品10 & 「夜想曲」選

   樋口紀美子のCD第3弾は、ショパンの『練習曲』作品10を核に、『夜想曲』から5曲を選んで収録しています。

   樋口のレパートリーはバロックから現代まで幅広く、中核はJ.S.バッハ、ショパン、シューマン、リスト、ドビュッシーといったピアノ作品ですが、ドビュッシーと共にショパンは幼少から特に好んで弾いていたといいます。

 長じてドイツに留学し、バッハを原点としてドイツ音楽を中心に研鑽に励んだわけですが、するとむしろ一層ショパンに対する共感が深まったといいます。

  バッハとショパンには意外な関連性があることを、ライナーノーツの中で、バッハ学者として高明な兄の樋口隆一氏が指摘しています。

 詳しくは本文を読んでいただきたいですが、樋口氏はショパンに影響を与えた3人の教師の存在を上げ、いずれもバッハやベートーヴェンなどのドイツ音楽理論の根幹をショパンに教えたこと、その中でショパンが2番目に教えを受けた、チェコ出身のオルガン奏者V. V. ヴェルフェルは、フンメルやフィールドなど、当時としてはモダンなピアノ曲とともに、オルガン奏法をショパンに教え、彼の推薦でショパンが教会オルガニストを務めたことを指摘しています。

 ショパンがオルガニストだったことはほとんど知られていませんが、確かにバッハの『コラール』の影響は、『練習曲』や『夜想曲』の随所にも見られます。

 さらに、作品10と作品25の2つの練習曲』と前奏曲作品28は、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』(第124曲と第224曲)に倣って、それぞれ24曲からなる曲集を完成しようというショパンの強い意欲の表れである点も樋口隆一氏は指摘しています。

  こうしてみると、樋口紀美子がドイツに留学しながらかえってショパンに惹かれ、その真髄に迫っていったのが必然であることを、このアルバムの随所から聴き取っていただけると思います。

   ショパン

   練習曲集 作品10(全曲)

   夜想曲 第4番 へ長調 作品15-1                                          

   夜想曲 第5番 嬰へ長調 作品152

   夜想曲 第6番 ト長調 作品15-3

   夜想曲 第16番 変ホ長調 作品55-2

   夜想曲 第20番 嬰ハ短調 遺作

 樋口紀美子(ピアノ)                                        

■高音質CD: NF25703 

 2,800+

 発売:20171110

 録音:川口リリア「音楽ホール」(埼玉県)

 2016411-13日、129


ショパン〜ノアンの思い出
 こぼれるようなロマンとドラマディックな抒情

 ショパン:ソナタ第3番、3つのマズルカOp.59

 

 

 樋口のレパートリーはバロックから現代まで幅広いが、中核となるのはJ.S.バッハ、ショパン、シューマン、リスト、ドビュッシーといった、ピアノ作品の枢軸である。

 樋口は、7年前に長く住んだベルリンから日本に住居を移したが、渡欧してから40年という節目の年(2014)CD2弾を録音するのに際して、何の迷いもなくショパンを選んだ。

 前作のドビュッシーやショパンを幼少から特に好んで弾いていたという樋口だが、長じてドイツに留学し、バッハを原点にドイツ音楽を中心に研鑽に励んだ。するとむしろ一層ショパンやドビュッシーに対する共感が深まったという。

 前作のドビュッシー「12のエチュード」には「ショパンの思い出のために」という副題が楽譜に記されているが、本作品は樋口自身の希望で「ノアンの思い出」を副題としている。

 ノアンはフランス中部の村だが、ショパンがサンドと夏の日々を過ごしたノアンの館や、ショパンが散策した小径を樋口は数年前に訪れている。すると天国のショパンと対話したり、この地で生まれたいくつかの作品の響きが自然に聞こえてきたという。

 樋口は大好きなショパンを折にふれ演奏会で取りあげてきた。このCDの核とも言えるソナタ第3番は、ドイツ、日本の双方でデビュー・リサイタルでも演奏している。そして40年以上の絶え間ないショパンへの熱い思いが、このアルバムの端々からにじみ出ている。

 今回も響きの良さで定評のある浜離宮朝日ホールで収録した。樋口はリサイタルもここで経験しており、慣れ親しんだピアノとホールが一体となった、極上の響きがこの録音でも堪能できる。

 

■ こぼれるれるようなロマンとドラマティックな抒情

真嶋 雄大~ライナーノーツより

限りなくデリケートながら、けれども存在感に満ち溢れたピアニシモ、大袈裟ではない振幅や起伏の中での物憂げな情感や深々とした沈潜、そして心の底からの悲しみを、樋口さんが共感とともに肌理細やかに紡いでいくと、そこには零れるようなロマンとドラマティックな抒情が揺蕩うように湧き起ってくるのだ。

 

   ノアンの思い出

   ショパン (1810-1849)

   ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58

   ノクターン第15番 へ短調 作品551

   子守歌 変ニ長調 作品57

   スケルツォ第4番 ホ長調 作品54

   3つのマズルカ 作品59

   樋口紀美子(ピアノ)

■CD:MF25702          

 定価 2,800+

   発売日:20141025日(予定)

   録音:浜離宮朝日ホール、 2014324, 25



樋口紀美子(ピアノ)

 6歳より母の手ほどきでピアノを始める。藤田晴子、田辺緑、岡部昌、永井進、神西敦子、K.ヘルヴィッヒ、H.E.リーベンザーム、G.アゴスティ、H.C.ステファンスカ、W.ブランケンハイム、D.ヴァルジの各氏に師事。1974年渡独。エッセン国立音楽大学、ベルリン芸術大学、ザールブリュッケン国立音楽大学演奏家コース卒業。

 1977年、イタリアのフィナーレ・リグレ国際ピアノ・コンクールにて3位入賞。以来、ドイツ、スイス、イタリア各地で数多くのリサイタルを行う。80年スイスのルガノ国際ピアノコンクール「スケルツォ特別賞」。81年以来、一時帰国しては東京にて13回のリサイタルを開催。『音楽芸術』『音楽の友』『ムジカノーヴァ』『ショパン』各誌で高い評価を得る。85年東京交響楽団とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を共演。

9310月にはマーラー《大地の歌》ピアノ版を邦人初演し、『音楽の友』のコンサート・ベストテンにノミネートされるなど、絶賛を博す。

 1988年よりベルリンのフィルハーモニー、カンマームジークザールを中心に9回のリサイタル(アードラー主催)で成功を収め、ベルリン・ピアノ界の常連としての地位を確立した。93年の演奏会はベルリン最大有力紙『デア・ターゲス・シュピーゲル』の批評欄で「微笑む理性」と絶賛された。949月、イタリアのシチリア島におけるイブラ・グランプリ国際コンクールで、プロフェッショナル・ピアニスト部門入賞。97年リスト・プログラムでCDデビューし好評を博す。

ベルリン教会音楽大学ピアノ科講師、ベルリン市立音楽学校ピアノ科および室内楽科講師を歴任。ピティナ・ピアノコンペティション、ベルリン・スタインウェイ・ピアノコンクール審査員。05年よりドイツ音楽芸術家連盟ベルリン正会員。

 20078月、33年のドイツ滞在を終えて帰国。20086月、浜離宮朝日ホールでの帰国記念リサイタルを機に、日本各地でコンクールの審査、講演・演奏活動を展開している。  

ドビュッシー生誕150年記念
 樋口紀美子〜12のエチュード

満を持しての収録(浜離宮朝日ホールで)

 

 

  ドイツを中心に活躍してきたピアニストの樋口紀美子のレパートリー、ドビュッシーの最晩年の傑作「12のエチュード」、満を持しての録音です。

ピアノ音楽の集大成ともいえるこの曲集は、「音程へのこだわり」と「響きの追求」という彼の本質が12の曲に凝縮されています。単なる技術の鍛練の水準をはるかに超えた、高度な芸術性を演奏者に要求しており、演奏者は大いなる覚悟と集中力を求められます。

録音会場は響きの良さで定評のある浜離宮朝日ホールを選び、事前リハーサルも同ホールで行うなど、万全の態勢で録音に臨み、至高の境地を記したCDがここに誕生しました。

 

 1977年にはイタリアのフィナーレ・リグレ国際ピアノ・コンクールで3位入賞、80年にはスイスのルガノ国際ピアノ・コンクール「スケルツォ特別賞」を受賞しています。

 上記の経歴のように、30年以上にわたりドイツを中心に活躍してきた樋口ですが、意外にもドビュッシーを主要なレパートリーとしており、とりわけ最晩年の傑作「12のエチュード」を30年以上前からしばしば演奏会で取り上げてきました。

 1989119日、ベルリン・フィルハーモニー・カンマームジークでのデビュー・リサイタルで、エチュード全曲の演奏したまさにその日に東西を隔てる壁が崩れ、後半6曲を弾いた2006年の東京でのリサイタルがきっかけで、日本で新しく生活を始める決心するなど、彼女にとって特別な作品となっています。

 ドビュッシーのピアノ音楽の集大成ともいえるこの曲集は、「音程へのこだわり」と「響きの追求」という彼の本質が12の曲に凝縮されています。単なる技術の鍛練の水準をはるかに超えた、高度な芸術性を演奏者に要求しており、演奏者は大いなる覚悟と集中力を求められます。

 生誕150年のドビュッシー・イヤーに向けて、樋口はこの難曲の録音に集中して取り組んできました。録音会場は響きの良さで定評のある浜離宮朝日ホールを選び、事前リハーサルも同ホールで行うなど、万全の態勢で録音に臨みました。

 録音会場は極上の響きで満たされ、ドビュッシーのピアニズムの極致ともいえる至高の境地を記したCDがここに誕生しました。

  ドビュッシー:12のエチュード(練習曲)

   「ショパンの思い出のために」

  第1集   I. 五本の指のための--チェルニー氏による

        II. 三度のための

             III. 四度のための

             IV. 六度のための

              V. オクターヴのための

             VI. 八本の指のための

   第2集 VII. 半音階のための

           VIII. 装飾音のための/IX. 反復音のための

               X. 対比させられる響きのための

              XI. 組み合わされたアルペッジョのための

             XII. 和音のための

 

   樋口紀美子(ピアノ)

■CD: MF25701          

   定価 2,800円(税込)

    録音:浜離宮朝日ホール(東京)2012312,13日    

   発売日:2012930


■ドビュッシー「12のエチュード」について

 「12のエチュード」は、ドビュッシー最晩年の傑作のひとつです。1914年に第1次世界大戦が勃発、そのショックに追い打ちをかけるように、翌19153月には最愛の母と、妻のエンマの母親を相次いで亡くし、ドビュッシーは自身の病気も重なって作曲に手が付けられる状態ではありませんでした。しかし、7月に大西洋岸のプルーヴィルに保養のために移ったのと、デュラン社からショパンのエチュードなどのフランス版の校訂を依頼されたのがきっかけで創作意欲を取り戻し、2台のピアノのための「白と黒で」、3つのソナタ、そして「12のエチュード」を次々に発表しました。「12のエチュード」がショパンに献呈されたのは、こうしたドビュッシーの当時の状況が背景にあると考えられています。

 12のエチュードは6曲ずつの2巻に分けられています。「5指のための、チェルニー氏にならって」、「3度のための」、「4度のための」、「6度のための」、「8度のための」、「8指のための」と名付けられた第1巻の6曲は、それぞれ指の訓練がめざされていますが、すでに第1曲でチェルニーが皮肉られているように、19世紀の楽天的な名技主義は退けられ、新しいピアニズムの確立がめざされています。ただしその背後には、4度や6度の平行進行の偏愛による、中世的な音響像の回想がある点も興味深いところです。

 第2巻の6曲はそれぞれ、「半音階のための」、 「装飾音のための」、「反復音のための」、「対比させられる響きのための」、「組み合わされたアルペッジョのための」、「和音のための」と名付けられ、ドビュッシーならではの微妙な陰影を伴った高度な音響表現の実現がめざされています。このエチュードが、単なる技術の鍛練の水準をはるかに超え、高度な芸術性を要求し、みごとな演奏効果を生むゆえんがそこにはあります。