明治学院バッハアカデミー

 

 サントリーホール・ライブ!
 自然なベートーヴェン〜《ミサ・ソレムニス》

 樋口隆一指揮 明治学院バッハ・アカデミー

 前作の《マタイ受難曲》に続く、樋口隆一指揮明治学院バッハ・アカデミーによる新録音は、「心より出て、心に至らんことを」と自筆譜に記し、「最も偉大な作品」と自ら呼んだベートーヴェン晩年の大作《ミサ・ソレムニス》です。

 エルンスト・ヘルトリヒ校訂 カールス原典版2010年を使用していおり、前作の《マタイ受難曲》に続き、テノールにジョン・エルウィス、バスに河野克典を起用し、ソプラノには新進気鋭の鷲尾麻衣、メゾ・ソプラノにはベテランの寺谷千枝子と充実なソリスト陣を配してます。

明治学院バッハ・アカデミーは、研究と実践(演奏)をモットーに掲げ、バッハ没後250年にあたる2000年に芸術監督樋口隆一を中心に創設されましたが、オーケストラはベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》でも古楽器を使用しており、第4曲のサンクトゥスでは、コンサートマスターの桐山建志が心に染み入るソロ・ヴァイオリンを聴かせています。

《ミサ・ソレムニス》は、合唱団にとっては難曲中の難曲ですが、樋口隆一指導のもと、その真髄に迫る感動のサントリーホール・ライヴ! の登場です。

 

ベートーヴェン

ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123       

エルンスト・ヘルトリヒ校訂 カールス原典版(2010)

樋口隆一指揮

明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団

鷲尾麻衣(ソプラノ)

寺谷千枝子(メゾ・ソプラノ)

ジョン・エルウィス(テノール)

河野克典(バリトン)

桐山建志(コンサートマスター/ソロ・ヴァイオリン)

CD:MF22315 定価:2,800円+税

2018年6月20日発売予定

録音:2017年10月9日サントリーホール(ライヴ) 4 580107 74084 0

 

使用楽譜 エルンスト・ヘルトリヒ校訂カールス原典版(2010年)について

ヘルトリヒ博士は『ベートーヴェン全集』 編集主幹。明治学院大学招聘教授として2006年には夫人とともに来日し、明治学院バッハ・アカデミー合唱団にも参加した。

古楽器オーケストラを使った今回の演奏は、当時のヘルトリヒ博士の提案である

 サントリーホール30周年記念公演ライブ
 自然なバッハ〜《マタイ受難曲》

 樋口隆一指揮 明治学院バッハ・アカデミー

 樋口隆一指揮明治学院バッハ・アカデミーによる《マタイ受難曲》2度目のライヴ録音です。

 明治学院バッハ・アカデミーは、研究と実践(演奏)をモットーに掲げ、バッハ没後250年にあたる2000年に芸術監督樋口隆一を中心に創設されました。

 2002年に演奏された初期稿(1727/1729)での日本初演のCDは、初期稿盤としては世界初のCD化として話題を呼びました。

 その後2008年と2016年に、後期稿 (1736年)による《マタイ受難曲》の再演が行われましたが、このCDは2016年3月20日のサントリーホール30周年記念特別公演でのライヴ盤(3枚組)です。 

 福音史家、テノールのジョン・エルウィス、イエス役のバスに河野克典を迎えるなどソリスト陣の充実ぶりと、明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団(古楽器使用)の近年の質的向上は特筆すべきものがあります。

 古楽研究の成果も踏まえつつ、《マタイ受難曲》に新たな境地を切り拓いており、なにより、数ある《マタイ受難曲》の中にあって、自然なバッハが滔々と流れています。

 


   自然なバッハ

   サントリーホール30周年記念特別公演

   バッハ

    マタイ受難曲(後期稿1736年)

         明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団

         樋口隆一(指揮)

         福音史家、テノール:ジョン・エルウィス

         イエス、バリトン:河野克典 ソプラノ:光野孝子

         メゾソプラノ:永島陽子 バス:?田悠平

         明治学院高等学校ハイグリー部

■CD: MF22312/14(3CD)定価4,000円(税抜)

           録音:サントリーホール・ライヴ(2016年3月20日)

           発売:2016年12月

           ライナーノート

         「私のバッハ遍歴《マタイ受難曲》」:樋口隆一 


 樋口隆一の「マタイ受難曲」を聴く                                  

                                                                                                             大原哲夫

                                         

 昨年亡くなった友人の画家・堀越千秋はカンテの歌い手としてもスペインで絶賛されるほどであったが、彼のアトリエにはマタイのカセットテープがあった。創作に行き詰まると彼は安物のラジカセでマタイを聴いた。武満徹は作曲にとりかかる時、必ずマタイのコラールの一節をピアノで弾いてから譜面に向かった。かようにバッハのマタイ受難曲は特別な曲である。

 創作とは無から有を生むことである。それは己と向かい合うこと、己自身を問い直すことでもある。自然や神、大いなるものと対話することにもなる

 夕日が海に落ちてくるあの素晴らしい光景。松林にざわめく風の音。今まで出会った数多くの風景、生きて今まで知り合った多くの人々。そして、ここにいる私は一体何者のか。広い宇宙に、今ここに存在している私は一体誰なのか。

 ゴーギャンは言った。「私はどこから来て、どこへ行くのか」と

 

 昨年、バッハ・コレギウムの鈴木雅明指揮のマタイ、続けてサントリーホールで樋口隆一指揮のマタイを聴いた。近年のマタイの演奏はドラマツルギーとしてのキリストの受難を劇的に演奏するものが多い。バッハ・コレギウムのマタイの演奏は、聴衆もまたキリストとともにいるイエスの弟子の1人となってしまうほど迫真の表現である。それを悪いとは言わぬが、目の前で演じられる劇的な演奏が素晴らしければ素晴らしいほど、目も耳も舞台に釘付けとなり、マタイを聴きながら、自らを省みる機会が失われるという皮肉な結果になる。

 樋口隆一の指揮するマタイはその対極にあった。久しぶりに心が穏やかに、大いなるもの前の小さな己の存在を気づかせてくれる心休まる演奏だった。特にコラールが素晴らしい。素晴らしいと言うのは、これは技術的にうまいと言うのではない。バッハの無伴奏チェロ曲を終生の友としたチェリスト青木十良はアンサンブルとは一致することではなく、調和することであると言ったが、ここで演奏されたコラールは、アマチュアの合唱団であるから、当然、技術的にはうまくはないのかもしれないが、いたずらに完璧さを求めたものではなく、合唱団のそれぞれの思いが見事にブレンドされ、心地よい調和をたもっていた。 心のこもった歌声だった。エヴァンゲリストは70歳を迎えており、そのことで最盛期の声が失われたなど批評家は言うが、そんなことはない。見事な味を出している。声楽家は最盛期の、声量が豊かな時がいいと言うならば、円熟した歌舞伎役者や古今亭志ん生の落語を若い時がほうがいうのと同じである。音楽にも味が大事なのである。若ければいい、声が出ればいいと言うものではない。

  樋口隆一の指揮も見逃せない。彼は音楽を支配しない。音楽に身を任せる。  合唱団のメンバーは「樋口先生の指揮はよく見ていないと、どこから始まるかわからない」と愛すべき悪口を言うが、フルトヴェングラーの棒だってよく見てないとどこで始まるかわからなかったそうだ。近衛秀麿も同様だったようで、だから近衛秀麿は「ふると面食らう」と言われた。

 そういう意味では樋口隆一の指揮はフルトヴェングラーや近衛秀麿の系列に連なる。音楽を楽譜の縦の線に合わせるのではなく、行く川の流れが常に横にたうたうように、指揮者は音の川の流れに身を任せる。舞台で見ているとよくわかるのだが、縦に刻むのではない。指揮者樋口隆一の体は常に左右にたゆたう。少しも音楽の邪魔をしない。聴衆はマタイと言う大きな川の流れの中の両岸に展開する様々な風景、様々な出来事の中に身を置き、省みて己を振り返る、そんな機会を与えてくれる演奏だった。

 ファイン・N&F 西脇義訓、福井末憲の二人は、サントリーホールで演奏された、この樋口隆一指揮のマタイ受難曲をライブ録音した。そのCDが出来上がり、我家に送られてきたのだが、実に自然に当日の様子を録音している。いたずらの誇張はない。空間に広がる合唱団のメンバー一人ひとりの思いや、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者たちの、真摯な音楽に対する思いまでもマイクを通して拾い上げ、オーケストラのメンバーたちの決して完璧ではないが実に心地の良い響きを捉えている。

 私はマタイ受難曲の新譜が出たと言うと昔から必ずLPレコードのセットを買っていた。数十組はあるだろうか。私のマタイコレクションの中でもこれは折に触れて聴きたくなるマタイである。去年亡くなった堀越千秋にもこのマタイを聴かせたかった。                                                               

                                                             (2017.1.22)